公開日:2026.10.07 更新日:2026.10.07
いつもご覧いただき誠にありがとうございます。
ソラノデザイン代表の角田です。
ここ数年、いろんな人に出会い話したこともそうですし、
なにより、さまざまなペルソナの商材を、
クライアント様のWEB制作・WEBマーケティングのご支援を通じて、
濃い濃度で見てきました。
そこで感じたのは、人はそれぞれ違う、という当たり前の原理原則です。
新規事業のコンテンツ発信について考える中で、
今回、「人はそれぞれ違う」中のコンテンツ・マーケティングについて、
というテーマで、コラムを書くことにします。
結論から言うと、新規事業の発信では『仮想敵を叩く』やり方はやらない、と決めました。
理由を書くために、少し遠回りをします。
目次
価値観・考え方・立場の違いで行動や認知は変わる
例えば私たちが当たり前だと思ってる、
「常識」も、ひとそれぞれ。
お客様ごとに違います。
わかりやすい例を出させていただくと、
とある文化では、犬を儀式的に「不浄」といったニュアンスで扱うことが多く、
ワンちゃんを可愛がって家で一緒に暮らす、
そんな常識とは違う価値観を持っています。
これは極端な例ですが、
私たち日本人同士でもそういった「違い」は必ずあります。
「そういうつもりで言ったのではないのに」
「なぜ言ってることを理解してくれないのか」
「なぜそんなこと言うのだろう」
「なんでわかってくれないの」
そんな思いが、日々、色々な人の心の中で湧いては消えていくのは、
誰のせいでもありません。
シンプルに「自分と、相手は違う。」からであり、
これは濃い薄いのグラデーションはあれど、
誰しもが、誰しもに対しそうです。
「それぞれ違う」感性や価値観を持っているのが、
人という生き物であるに関わらず、
皮肉にも私たちは、
「理解し合うこと」「共感」を求めます。
これは不思議な本能です。
理解し合いたい。理解されたい。
そんな本能は、どうしても消えません。
だからこそ、
人は、もめてしまったり、怒ってしまったり。
あーもういいやって思ってしまったり。
そんなことが起こったりもしますし、
反面、共感してくれて嬉しかったりもします。
ひとたび「どうせ相手と自分は違う生き物だから」と、
本能に抗い受け入れてしまえば、
「距離を置いて過ごす」なんてことを、しなくてもよくなったりするのですが。
私を含め、人は「理解し合えること」を求めてしまうゆえに、
なかなか、「相手と自分は違う、人はそれぞれ孤立した生き物。」と、受け入れられないのです。
たとえば、
経営者とサラリーマンでも当然価値観は違います。
女性と男性でも価値観は違いますし、
決裁権者と担当者でも、若手営業と役員でも、
立場も、価値観も違います。
わかりやすい身近な例を出します。
私たち経営者は会社を維持・全員の昇給を持続させるために、
時代に合わせ適切な投資キャッシュを持つために、
できる限り「売上・利益を上げたい」です。
反面、スタッフにとって一番大切なのは、
人間関係・お金・過ごしやすさを含める、
「働きやすさ」であり、
ここは立場の違いで、
スコープ(見てる場所・範囲)が違う箇所です。
売上・利益を上げながら、スタッフの働きやすさやこだわりを、
両立できるシーンもたくさん見てきましたし、
利益相反するシーンもたくさん見てきました。
それぞれがポジショントークをしているのがこの世の中で、
有名なデール・カーネギーさんの著書の言葉を借りれば、
「盗人にも五分の理を認める」ことが、
やさしさなのではないか、 と、この頃感じたりもします。
ちょっと前まで、私は「どうせわからないから」と、
人に対して諦めに近い、逃げの感情を持つことも多かったのですが。
この頃は「これは違いである」と認知し、
バスっと自分の脳内から遮断するのではなく、
五分の理を認めることに、
自分の価値観の基軸を置くようにしました。
世の中にある不満・不快・批判は全て、
このスコープ(見てる場所・範囲)の違いによって起こるからです。
共感系コンテンツ
「わかりあえないから、どうせ人と人は違うから。」
ここまで書いたように、正直、そんな価値観を、私は持っています。
そしてそれは真理であり、現実だとも考えています。
ついつい、共通点や、相互理解が起きやすいコミュニティに、
自分の身を置きがち。そんなまだまだ小さい人間です。
しかし、「どうせ一人一人、違う。」という価値観を持つ反面、
「理解し合えること」「共感し合えること」を諦めない美徳、
そこに感銘を受けたりもします。
例えば、ちょっと前の私だったら、
「言っても変わるわけないし、意味ないのに。」
と、
バスっと脳内で分断するような価値観だったんですが、
この頃歳をとったのか、
めげずに相手と相互理解を得ようとする昭和の熱血おじさんを見ると、
「なかなかカッコいいな」と思うようになりました。。笑
一見矛盾しているように感じますが、
人間については、プログラミングとは違い、
二元論で考えない優しさが、大切なのかも、と考えはじめてるからです。
嫌なことされた。嫌い。
気分良くしてくれた。好き。
そんな二元論では、私の交友関係は限りなく狭くなるでしょう。
ありがたいことに、今私はコミュニティや仲間に恵まれていますが、
もし今ここで、価値観に変革がなければ、20年後は、殆ど周りに人がいない人生だったでしょう。
「盗人にも五分の理を認める」
たとえ間違っているように見える相手であっても、
その人なりの言い分や理由(理屈)が必ずあるという意味です。
理解し合えないのは前提であり、その中でもお互いに歩み寄る、その「姿勢」を見せ続けること。
そこに価値があるのかも。と考えはじめました。
新規事業のコンテンツ発信を考えるにあたって
だからこそ共感系コンテンツには、
私は色々経験した今の年齢になっても、
「意味がある」と感じます。
ただ、ブランドコンセプトやコーポレートアイデンテティを貫くにあたり、
共感ではなく「仮想敵を叩く」コンテンツを作ってしまうのは、
私はやりたくないなと、思ってしまいます。
なぜかというと、
仮想敵を叩くコンテンツは、この記事でここまで書いてきたことと、
真逆のことをしてしまうからです。
「○○している会社はダメだ」
「まだ○○なんてやっているんですか」
こういった発信は、正直に言うと、WEBマーケティング的にはよく効きます。
誰かを敵にすると、味方の輪郭がはっきりするからです。
また、人は「これが良いよ」と言われるより、
「これをしないと損するよ」という方が動くからです。
プロスペクト理論ですね。
「私たちは、あちら側とは違う」という安心感は、
共感よりも早く、強く、人を集めてくれます。
ただ、それは「盗人にも五分の理を認める」ことを、
やめてしまうということでもあります。
叩かれている側にも、
その人なりのスコープがあって、その人なりの事情があって、
その人なりの理屈で、その選択をしているはずです。
それを無いものとして切り捨てることで得られる共感は、
「わかりあえないことを前提に歩み寄る」共感とは、
似ているようで、まったく別のものだと私は思っています。
ペルソナを考える、という作業は、「自分とは違うスコープで生きている人」を、できる限り想像する作業。
そしてこれは、私たちの本業である、
WEB制作・WEBマーケティングの話でもあります。
ペルソナを考える、という作業は、
「自分とは違うスコープで生きている人」を、
できる限り想像する作業です。
決裁権者と担当者では、見ている場所が違う。
経営者とスタッフでは、大切にしているものが違う。
その「違い」を、
良い・悪いで裁かずに、
「この人には、この人の理がある」と、
いったん受け取るところから、
伝わる言葉は生まれていくように感じています。
わかりあえないことを、前提にする。
それでも、歩み寄る姿勢だけは、手放さない。
一見矛盾した2軸ですが、
その姿勢を、人に対しても、コンテンツに対しても、
貫いていきたいなと、思っています。
新規事業のコンテンツマーケティング・コンテンツ発信を考えるにあたって、
このようなテーマについて考えていました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。