公開日:2025.08.26 更新日:2025.08.30
目次
スタッフに期待する力と、期待しない力
元々の性格もありますが、経営をしていて、
スタッフであれ、クライアント様であれ、外注先であれ、
私はこれまで誰に対しても『対等』に見ることを心がけていました。
仕事関係の人とは、年下であれ年上であれ敬語で接してきたくらいです。
そんな「平等」「対等」が優しさだと信じて疑わなかった私が、
経営を5年してみて本当に難しいなと思ったのが、
『同列』『平等』にスタッフを見ると、
その分、自分と同じような、視座や、現実の解像度を期待しちゃうってこと。
そしてその期待が、スタッフを苦しめる場合も多いという事です。
期待が功を奏する場合も、もちろんあります。
私はサラリーマン時代、
当時の社長に期待してもらい、
あらゆる打ち合わせに出席させてもらったり、
現場でPLなどの数値を全力で追う経験をさせてもらえたからこそ、
(正直当時は辛かったですが)
今となってはスキルが身につき、起業できた。
そう感謝しています。
あの若さの自分が、経営者の近くで、
プロジェクトの意思決定に多少なりとも参加・経験できた事、
そのチャンスを与えてもらえた事に、当時の社長さんからの愛情を感じました。
しかし、
「自分と同じような視座や現実の解像度、責任感を期待しちゃう。」
と、苦しんだり、反発するスタッフが多いといった現実も、この5年の経営生活で知りました。
人を許容するために必要な優しさ
“許容は「器」か「見下し」か”
このテーマは本当に、1年かけて答えを探したテーマでした。
「そうか。わかんないか。しょうがないしょうがない、俺が巻き取るよ!」
「モチベーションの管理は難しいよね!」
「数値目標とかわかんないよね!いーよいーよ!俺が見るから!」
一見、優しく見える、器が大きく見えるのですが、
これは相手を「自分より下」「自分より弱い人」と認識しているからこそ、
かけられる言葉です。
わたしは当時、こんな見せかけの優しい言葉は、あまり好きじゃありませんでした。
根底に、多少なりとも「見下し」や「諦め」があると感じていたからです。
当時の自分の経営スタイル
「見下し」や「諦め」がある言葉は好きじゃない。
だからこそ私は当時、自分の給与をこっそり会社に返したりしてでも、
スタッフの年収の高さにはこだわっていましたし、
その反面、スタッフを「対等に」見るようにしていました。
しかし、いろいろ経験する中で、
以前の私が「見せかけの優しさ」と呼んでいた物も持ち合わせないと、
「経営者は却って、スタッフを不幸にする。」と、思い始めたんです。
もちろん、期待されて伸びる人はいます。
サラリーマン時代の私のように、
期待されて、
たくさんの意思決定や目標に触れ、成長する人もいる。
しかし反面、
期待されたら苦しい人。
同じ視座や現実なんて見たくない人。
会社の成功もピンチも気にしない人。
そんな人も当然多いです。
「そうか。わかんないか。しょうがないしょうがない、俺が巻き取るよ!」
「モチベーションの管理は難しいよね!」
「数値目標とかわかんないよね!いーよいーよ!俺が見るから!好きにやって!」
経営をしていると、
そんな本質的に優しくない言葉も、かけなきゃいけない。
そう感じて過ごし、どうしようもなく虚しい気持ちになっていたのが、この1年でした。
今は納得のいく考え方が見つかり、気持ちも晴れているのですが、それは後述していきます。
スタッフへの期待値が”対等”だと起きる問題
とにもかくにも、
この1年、そんな少し虚しい気持ちで過ごしていました。
ハードスキル・能力の違いは、「評価」で片付くのですが、
気持ちや、マインドセットの部分は、能力差がありません。
同じ人間として、マインドセットの部分は対等に、メンバーを見たいし見てあげたい。
そんな思いから、
- 周りに迷惑をかけないよう、誰かの給与を減らさないよう、個人の損益分岐は気にして欲しい。
- お金を払ってくださる、クライアント様にもっと興味を持って欲しい。
- この事業のキャッシュフローくらい開示してるんだから把握してほしい。
- この事業に愛情を持ってるならそこは見てほしい。
- 人生かけて作った会社を、人の大切にしてる会社を「都合よく利用しない」倫理観くらいは持って欲しい。
なんて気持ちが生まれていました。
これはスタッフを同列に見たり、期待すると出てきてしまう、
「経営者からスタッフへの暴言」です。
過去の自分も、周りの経営者を見ていても思うんです。
対等に、平等に見てしまう経営者ほど、
「期待して、怒って。」の繰り返しになる。
そんな現実に直面した私は、
見せかけの優しさを使ってでも、
結果、スタッフも会社も社長も、三方良しなら、
皆幸せなら、それでいいかと。
諦めたような気持ちで、経営に向き合っていました。
起業した時期が近い、周りの経営者たちも、
- 部下とご飯行くのは辞めた
- 部下を信頼するけど期待しない事を覚えた
- あまり愛情を持ちすぎなくなりドライになった
なんて言葉を、この頃、口にすることが多くなりました。
しかし、ある日思ったんです。
これは一見冷たいように見えて、
これが唯一、経営者がスタッフに提供できる、
優しさの糸口なんじゃないかなと。
転換点となった考え方
諦めや見下し、見せかけの優しさ。
そんな言葉は字面だけ見ると、
ネガティヴに感じる言葉だと思います。
おそらく、こういう言葉の字面だけを見て、
「期待しないなんてひどい!」「対等に見ないなんてひどい!」
と感じる人もいらっしゃると思いますが、
実際に期待されると、
「期待された方が・同じ目線で話をされた方がつらい」方のほうが、
「期待されない方が楽と感じる」方のほうが、多数派な時代だと思うんです。
「難しいなー。」
「期待しない」「諦め」「見下し」「見せかけの優しさ」
こんな言葉が頭に浮かびモヤモヤ、
でも期待すると部下は嫌がるだろうしなーと、
どうしようもなく虚しい気持ちでしばらく経営していたのですが。
ある日ふと、
「これは愛情の種類の違い」という考え方が、
自分の中でしっくりくるようになりました。
部下に持つべきスタンス
モヤモヤして過ごしていたある日、
自問自答してみたんです。
「俺は、学生の子や幼稚園児を見て、その子達を見下したり、諦めた気持ちで接しているだろうか?」と。
流石にそんな事ないなと思いました。
その時に思ったのが、
ひとくくりに「愛情」と言っても、種類があるなと。
①兄弟や仲間、パートナーに向けた、「対等な愛情」と、
②子供や一回り以上下の後輩に向けた、「保護的な愛情」は、
全く別物だと思ったんです。
どうしても32歳で経営をしていると、
部下も年上の方が多ければ、
年齢差もさほどないメンバーが集まります。
スタッフもスタッフで、
「私も大人だ」といった目線で、
なんだったら「私のほうがわかってる」という無邪気なプライドを持ちながら、
社長に接してくることも多いです。
これまでは「そんなものか」と思ってましたし、
私は「絶対にボスでありたい欲求」も正直薄い人間です。
あまりストレスはなかったのですが、
「愛情の種類が大切」と気がついてからは、
ストレスとは少し違うのですが、
「我々、若手経営者は、この雰囲気に飲まれてはいけない」と感じはじめました。
①兄弟や仲間、パートナーに向けた「対等な愛情」
を、スタッフに向けてしまうと、
期待値も上がりますし、
例えば私でしたら、給与を多めに渡して、
なんでしたら「部下の方がコスパよく稼げてる」状態を作り、
意思決定にも経営者と同じくらい参画させて、、、
のような動きをとってしまってました。
これは、部下に対して、兄弟や仲間、パートナーに向けた「対等な愛情」を持ってしまっていたが故です。
部活感覚・バンド感覚だったんでしょうね。
そうすると前述の通り、
対等に、平等に見てしまい、
現実の認識が間違ってるスタッフや、
責任感が自分より低いスタッフを見ると、
「期待して、怒って。」「諦めて。」の繰り返しになる。
この繰り返しは、経営者も部下も辛い状態です。
倫理的によくない経営をしている気持ちになり、
経営者側も意外とモチベが下がりますし、部下も当然苦しい状況です。
そんな事を言語化する中で、気がついたのが、
スタッフと年齢が近かろうが、年上であろうが、
経営者が持つべき愛情は、
②子供や一回り以上下の後輩に向けた、「保護的な愛情」
に近いんだなということ。
そういう種類の愛情を持った方が、
スタッフも外注先も働きやすく、
毎日、適度に幸せに、皆、仕事ができる。
経営者側は期待値も下げられる。
それが人の上に立つって事なんだなと理解できたのは、
本当にごく最近のできことでした。
期待値はケースバイケースに
まだ出会ってはいませんが、
会社の成長に合わせ入ってくるであろう、
本当に一部の視座の高いスタッフ = 起業家向きの方にだけ、
「この子は期待しても、壁やストレスを乗り越えて成長し、
世の中に対して良い影響を与える事業を立ち上げるだろう。」
そう思える子にだけ。
期待し、①の愛情を、例外として持っても良いのかもしれません。
当時私が勤め人だった頃の社長が、私にそうしてくれたように。
一般的にはスタッフに、「同列に見すぎたり」「期待しすぎたり」。
「対等な愛情」を持ったり。
そんなこれまで私が「優しさ」だと思い取り組んでいたことが、
経営する上では、全く、優しさじゃない。
それどころか、「期待」や「対等な目線」が、
スタッフにとっては凶器になるんじゃないかと思うんです。
「そうか。わかんないか。しょうがないしょうがない、俺が巻き取るよ!」
「モチベーションの管理は難しいよね!」
「数値目標とかわかんないよね!いーよいーよ!俺が見るから!」
昔の私が、「見せかけの優しい言葉」と揶揄してたそんな言葉こそが、
少なくとも経営する上では、本当に優しい言葉なんだと思います。
対等な目線や期待値 = 対等な愛情を持っても、傷つかない人。
現実の解像度が近しい、リラックスできる人間関係。
それはプライベートで築き、
そういうコミュニティに属したい欲求は、
決して仕事の現場には持ち込まず、他で満たせばいい。
経営者が経営者とばかり連むのが、
昔は本当に不思議でしたが、
プライベートで経営者同士で仲良く過ごし、
対等な愛情を持つ欲求を満たすのは、
今は「これが優しさなんだ」と理解できました。
もちろん、今話したのは抽象論で、
実務で言うと、採用も大切です。
採用にも学びを反映させて
今回の「部下に持つべき愛情の種類」から学んだ事を、採用に反映させると、
求職者自身が、
経営者に対し「対等な愛情」を求めるタイプだった場合や、
スタンスが「対等」「対等以上」になる欲求を持つタイプだった場合、
絶対に一緒には働かない事。
人は鏡です。
私も、対等に接しようとしてくれると嬉しいもので、
「対等な愛情」を持とうとしてしまいますが、
その気持ちに応え、対等に接すると、
最後には「見下し」や「諦め」しか待っていません。
求職者自身が、「対等な愛情」を求めるタイプだった場合、
意思決定としては「採用しない」一択です。
逆に求職者側は、自分の欲求を起点に、独立か、勤め人か、キャリアを判断するべきだとも思います。
「採用」という行為が、本当起業したての5年前に比べて、
自分の中でめちゃくちゃ重要度が増しました。
また、部下に対して「保護的な愛情」を持つと言っても、白か黒かの二元論ではなく、
誰にどのくらい期待してあげて、誰にどのくらい期待しないであげて。
そこは適切に人を見極めて、適切な優しさを持つ。
ただ、根底にある気持ちは、「子育て」のような愛情で期待値と関係値を持つ。
絶対に「対等な愛情」は持たない。
スタッフに対して、①の「対等な愛情」を持つと、それは凶器になる。
年齢が上だとか、近いだとか、そんな環境に振り回されず、
そんな現実的で、再現性のある優しさを持てる、経営者になれたらいいなと思います。
まとめ
以前の私のように、全員を同列に、平等に見て、年収も高くして、
そのぶん期待もして、のような経営をしてしまうと、
傷つく人が増えるだけ。
それは対等な愛情です。
大切なのは、『期待値』と『採用』、『保護的な愛情』にこだわること。
その上で、
「採用市場の平均値の、平均的な努力で、利益が出るか。」事業の設計を考える事が重要です。
会社で起こる問題は全て、経営者の責任です。
現実と期待値のズレは、苦労として顕在化し、経営者自身に降りかかってきます。
しかしその苦労は、自分の角を取り、自分を丸くしてくれる。
段々と、現実への解像度が上がり、適切な期待値も見えてきた経営者5年目。
気がつくのが、成長するのが遅かったことが悔やまれますが、
今後入ってくる部下のことを考えると、良い苦労ができたと思っています。
採用において、
「適切な優しさ」とは何か。
「適切な期待値」とは何か。
そして「経営とは何か」を真剣に考え、
新規チャネルである、店舗スタッフの採用準備期間を過ごしていきたいと思っています。
もしかすると、2事業ともゼロイチが終わりそうなんで言えるのかもですけどね。
ゼロイチ時に保護的な愛情なんて言える余裕があるほど、ビジネスは甘くないですから。
ただその余裕を、誰かから貰ったりせずに、
自分で勝ち取った事は誇って良いと、そう思っています。
もちろん、これから先さらに経験を重ねれば、また違う結論にたどり着くのかもしれません。
あくまで経営5年目の、等身大の考えとして読んでいただけたら嬉しいです。
もしここまでの考えに共感してくださる方がいたら、ぜひ一緒に働きたいなと思っています。
内省し、現実の解像度を上げる期間は終わりました。
良い音楽を聴きながら、真剣にパソコンに向き合い、今日もバリバリと事業を伸ばしていこうと思います。